別の記事で書いた「権限」と「権原」のように、契約書や利用規約では、同じ読み方の言葉であっても状況に応じて使い分けるものがあります。
この記事ではその中のひとつ、「もの」を取り上げてみたいと思います。
「物」とは
1つ目は音読みではブツの「物」です。
他の「者」「もの」と区別するため、意図的に「ブツ」と読む場合もあります。
「物」とは権利の客体(行為や意思の対象となるもの)を指す言葉として用いられます。
例えば、契約書では次のように用いられます。
第○条 (引渡し期限)
甲は、乙に対し、2022年10月31日までに、別紙記載のすべての物を引渡さなければならない。
なお、実際には「物」単体で利用される場合は多くなく、例えば「成果物」や「所有物」のようにもう少し内容がわかるような形で使用されることが多いようです。
では、この「物」に該当するのは何なのか、もう少し詳しく考えてみます。
まず、民法においては、「物」とは有体物であると定められています。
民法85条(定義)
この法律において「物」とは、有体物をいう。
そもそも有体物とは「物理的に空間の一部を占め有形的存在を有する物。」(広辞苑より)を意味しており、形をもって存在している物体を指す場合が多いです。
なお、ここで”多いです”と記したのは、実は有体物の解釈について学説では対立があり、先述のように形を有するものに限定する説と、管理できるものも含むとする説があります。
これにより、例えば”電気”は形をもっていませんので前者の説では有体物に含むまれませんが、管理できるものであるため後者の説では有体物に含まれると考えられます。
また、条文上明示されてはいませんが、「物」とは支配できること、独立していることなどが求められると考えられています。
このように、民法では有体物を指しますが、他の法律では有体物に限られません。
例えば著作権法で著作権が及ぶ物を「著作物」としていますが、この「物」はデジタルデータのような無体物も含まれます。
よって、有体物か無体物かに関わらず、権利の客体となるものであって、支配可能性や独立性などをもっているのが「物」であるといえます。
「者」とは
2つ目は、音読みではシャの「者」です。
他の「物」「もの」と区別するため、意図的に「シャ」と読む場合もあります。
こちらは、自然人(人間)に限らず法人も含めた”人”で、権利の主体(行為や作用を他に及ぼすもの)を指す言葉です。
権利の客体を指す「物」に対して、主体を指すのが「者」です。
法律においても、特に定義の条項においてよく見られます。
電気通信事業法 2条(定義)
この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
(略)
五 電気通信事業者 電気通信事業を営むことについて、第九条の登録を受けた者及び第十六条第一項の規定による届出をした者をいう。
この「者」は自然人と法人の区別はありませんので、個人であっても株式会社であっても「電気通信事業者」になることができます。
また、「者」単体だけでなく、例えば「当事者」や「委託者」「未成年者」「所有者」などのように、わかりやすい形で使用される場合も多いです。
契約書では、次のように用いられます。
第○条 (業務責任者)
本契約の円滑な履行のために、甲及び乙は、業務遂行に責任を有する者を選任し、それぞれ相手方に通知する。
なお、法人同士の契約において、例えば両方の当事者で協議することを「二社間で協議する」というように記している契約書もありますが、実はこれは誤りです。
正しくは「二者間で協議する」となります。
「もの」とは
最後に、ひらがなで記す「もの」については、おおまかに以下の3つの場合に使用されます。
1つ目は、すでに記されている対象物の範囲を更に限定する目的である場合です。
道路交通法39条(緊急自動車の通行区分等)
1 緊急自動車(消防用自動車、救急用自動車その他の政令で定める自動車で、当該緊急用務のため、政令で定めるところにより、運転中のものをいう。以下同じ。)は、第十七条第五項に規定する場合のほか、追越しをするためその他やむを得ない必要があるときは、同条第四項の規定にかかわらず、道路の右側部分にその全部又は一部をはみ出して通行することができる。
2 (略)
ここでの「もの」は、”消防車や救急車などの自動車”という範囲から、”緊急の仕事のために運転中である自動車”だけを対象とするようにしています。
他にも、「甲から乙に引渡す物で既に引渡しが終わっているものは」というように、”引渡しが必要な物”という範囲から、さらに絞り込んで”引渡しが終わっている物”だけを対象にする場合です。
2つ目は、「物」にも「者」にもどちらにも該当しない対象物を指す場合です。
民法896条(相続の一般的効力)
相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する。ただし、被相続人の一身に専属したものは、この限りでない。
ここでの「もの」は「権利義務」を指しており、これは「物」でも「者」でもありません。
商標法2条(定義等)
3 この法律で標章について「使用」とは、次に掲げる行為をいう。
一 商品又は商品の包装に標章を付する行為
(略)
九 音の標章にあつては、前各号に掲げるもののほか、商品の譲渡若しくは引渡し又は役務の提供のために音の標章を発する行為
十 前各号に掲げるもののほか、政令で定める行為
ここでの「もの」は、1号から9号までの「行為」を指しています。
3つ目は、法人ではない、人格のない社団(法的には「権利能力なき社団」)または財団(権利能力なき財団)を指す場合、および個人と法人にこれらの社団、財団を含めて指す場合です。
「者」とは先述のとおり法人も含みますが、この法人とは法律上の人格(法人格)を有している会社(株式会社、合名会社、合資会社、合同会社)や一般社団法人、特定非営利活動法人(NPO法人)などをいいます。
それに対し、法人ではない団体は人格がありませんので権利や義務の主体となることはできず、「者」には含まれません。
民事訴訟法29条(法人でない社団等の当事者能力)
法人でない社団又は財団で代表者又は管理人の定めがあるものは、その名において訴え、又は訴えられることができる。
ここでの「もの」は、法人でない社団または財団を指しています。
以上のように、ひらがなの「もの」には3つの意味がありますが、契約書や利用規約の作成においてはこのような区別を特段意識することなく、語感により「もの」と発したい場合に広く用いられている印象があります。